兵庫の屋根 氷ノ山のふもと 重要文化財の農村舞台で歌舞伎を伝承

紹介

葛畑座

兵庫・但馬の屋根、氷ノ山の深い谷あいに葛畑(かずらはた)座の舞台、芝居堂があります。
入母屋萱葺きの大屋根に、異色の仕掛けを備え、周囲の美しい棚田の景観とあいまって全国有数の農村歌舞伎の舞台として、昭和四十三年 国の重要有形民族文化財に指定されています。
この舞台で四百年近く前から、農村歌舞伎が演じられてきました。
大坂の芝居小屋で修行した藤田勘左衛門がふるさと葛畑に帰り、地元の農業を営む人たちと結成したのが葛畑座です。明治三年のことでした。
昭和の初めごろまで盛んだった葛畑の農村歌舞伎は一時、衰退します。舞台の改修にあわせて昭和四十一年に再び公演しますが、その後、長らく途絶えていました。

葛畑の舞台

葛畑の舞台は、天文13年(1554年)に荒御霊神社境内に建てられ、江戸時代末期、藤田甚左衛門らが葛畑座を結成し、農閑期に上演、好評を得た舞台です。
明治25年(1892年)に本格的な歌舞伎舞台にするため、大阪の舞台建築技術を習い、村人総出で修復しました。現存の舞台は、昭和51年に全面改修、昭和60年に屋根の葺き替えを行いました。
舞台構造は民家型入母屋造り茅葺き、独楽廻式歌舞伎舞台で、田楽返しの装置がこの舞台の特色です。また、農村歌舞伎舞台で大切な七つの機構を全部備え、民族、演劇学上優れた舞台です。

●七つの舞台機能

①廻転 地下の奈落から円型の舞台が独楽廻式に回転する。
②花道 長方形と台形からなり、開演時には舞台正面左端舞台に、約45度の角度で外に開いて取り付けられる。
③二重台 四方の上壇をいい、2台の上壇に襖、背景を建てる。
④下座 舞台の左側に接続して、上段、下段に分かれて、上段い太夫、下段に鉦、太鼓、拍子木をうつ人がいる。
⑤ブドウ柵 枠に入った背景を細いロープで舞台屋根裏に吊り上げる格納庫。
⑥遠見 舞台正面に千畳敷、城、野、空、海岸など背景の襖、または幕を吊るす。
⑦ガンドウ 二重台を左右に引き分けて、舞台を広く使用するため、舞台左右の込み板(板すべり)を倒し、舞台として使用する。

●その他備えている機構装置

①田楽がえし 舞台高二重台の上に襖十枚を建て、1本の長い竹竿に10枚の襖を紐で結び、この竹竿を引くことによって背景を一瞬のうちに90度廻転させ、間から奥の遠目を見せる。また、180度廻転で襖の反対の背景を変える。この機構は葛畑舞台の特色です。
②スッポン 役者が舞台に出入りするセリ上げ。
③セリ引き 2台の2重台の上にが背景の襖4枚または6枚を立て、中央より左右に引き分け、その奥より2台の2重台を押し出し背景を変える。
④からくり 雨の場、滝の場、蛍火、きつね火等優れたからくりの多くが備えてあり、農民の知恵が現れ、農村舞台として価値の高いものです。
⑤奈落 舞台床下をいい、舞台廻転の場と楽屋を兼用している。
⑥客席 舞台前境内の広報を高くして傾斜をつけ、観劇しやすいようになっている。

また当時着用していた歌舞伎衣装は、図柄や模様を知る上で重要な資料で、兵庫県の重要有形民俗文化財に指定され、小道具とともに葛畑演劇資料館に展示されています。

沿革

天文13年
(1544年)
葛畑荒御霊神社の境内にお堂が造られる明治3年大阪で歌舞伎を学んだ藤田甚左衛門を中心に「葛畑座」が結成される明治25年葛畑芝居堂を改修する(現在の芝居堂)
明治3年 大阪で歌舞伎を学んだ藤田甚左衛門を中心に「葛畑座」が結成される
明治25年 葛畑芝居堂を改修する(現在の芝居堂)
昭和39年 第1回復活公演(葛畑芝居堂)
昭和41年 第2回復活公演(葛畑芝居堂)
平成13年 地元の住民を対象とした舞台の案内人を養成
平成14年 用具等の整備、舞台操作技術伝承者・農村歌舞伎伝承者の養成をはじめる
平成15年 第3回復活公演(葛畑芝居堂で3回)「葛畑三番叟」「絵本太功記十段目尼崎閑居の場」
平成16年 農村歌舞伎公演(葛畑芝居堂で3回)「葛畑三番叟」「新版歌祭文野崎村久作住処の場」
平成17年 北播磨交流の祭典農村歌舞伎祭出演(播磨中央公園)「新版歌祭文野崎村久作住処の場」
平成18年 県民創作公演(兵庫県立芸術文化センター)「葛畑三番叟」「新版歌祭文野崎村久作住処の場」
平成19年 太夫三味線奏者の育成を開始
あしたの日本を創る協会ふるさとづくり賞振興奨励賞受賞
兵庫県芸術文化協会ふるさと文化賞受賞
太夫三味線奏者の育成を継続
葛畑農村歌舞伎伝承会立上
知事功労章受賞

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